自己紹介

私の小学校時代

私の家族

6人家族(通常は5人)
父は九州出身、母は北海道出身です。父は単身赴任をしていて幼少期~私が二十歳くらいになるまで地方に住んでいたので、連絡はとっていたしたまに帰ってきてはいたもののほとんど一緒には暮らしていません。私は父が好きだったので寂しかったのを覚えています。

祖父母と同居
母は地方公務員として働いて私と妹を支えてくれました。とはいえワンオペは大変なので北海道の両親を呼び寄せ、一緒に暮らしていました。
なので平日学校から帰ってきた後や長期休みの間、私は学童保育に行かず、家で祖父母に面倒を見てもらっていました。食事は祖父が買い物をして、祖母が作ってくれました。祖父母には感謝しかありませんがしつけに関してはとても厳しく、よく怒られていました。

放課後は毎日習い事
習い事はたくさんさせてもらいました(送り迎えは送迎バスや祖父母)。水泳、ピアノ、そろばん、習字、英語…これらは母が働いてくれていたから(金銭的に)通うことができたのだと思うので感謝しています。進研ゼミは見てくれる人がいないのでなかなか進まず…(提出が遅れ気味×)。
母はテストの点数が良くても悪くても褒めも怒りもせず、「ふーん」って感じだったかと思います。音読の宿題も3回読まなくてはいけないところ私が「面倒だから1回でいい?」と聞くと「いいよ」と言ってくれました。

勉強のこと
今思うと、母は一人っ子で祖父母(母の両親)はとても厳しい人だったので厳しく育てられたことへの反動だと思います。勉強に関しては私たちの自主性に任せてるところもあったと思うのですが、妹はちゃんとやるタイプだったのですが私は背中を押してほしいタイプだったのであまり勉強せず…こればかりは私が悪いのですがもっともっと勉強しておけばよかったなと後悔しています。  

それでもたまに帰ってくる父と、小学校低学年の時の担任の先生がやたら私のことを褒めてくれて、早生まれだったので決して勉強は得意ではなかったはずなのに褒められたくて小学校の勉強だけは頑張っていたと思います。

ワーキングマザーという道を示してくれた母
北海道の女性は働き者なのか?母は毎日仕事を頑張っていました。夕方帰宅するのですがスクーターの音が聞こえると母が帰ってきてくれるのがうれしくて毎日玄関先まで迎えに行きました。週末は疲れて寝ていたり、たまった家事をしていたと思います。私は父が週末いるときは遊びに連れて行ってもらっていたし、いない時は公園や児童館などに行っていた記憶はあるのですが、母と遊んだりどこか遊ぶところに連れて行ってもらった記憶がないので、母ともっと一緒の時間を過ごしたかったです。

現代にも言える、「働く母も趣味は大切…いつその時間を確保するか?」問題
週末の夜は母が趣味の社交ダンスやカラオケに出かけていくのですが(深夜2~3時に帰ってきていたような)、それも寂しかったです。一度父と母が大喧嘩をして、その時に「お母さんがたまに出かけるの嫌?」て聞かれたのですが、毎日働いていてそれが息抜きということも理解していたので「大丈夫だから喧嘩をやめて」と言いました。自分も長年働いて自分の時間の確保ってとても大切なので今なら理解できます…。

自分は長女だからか?祖父母が怖かったからか?甘えるのが苦手でした。
両親もいたし祖父母もいたから本当は寂しくないのだけど、甘えきれなかったような。母とは一緒にお風呂に入ったこともないし、ぎゅっと抱きしめられた記憶もなくて、病気になれば病院に連れて行ってくれたし、誰かにいじめられそうになったり道で誘拐されそうになった時には小学校に連絡してくれて助けてくれたので、あまり口にはしないけど愛されてはいたと思うのですが、もっともっと一緒にいたかったです。

やっぱり働く母のことは誇りに思います
定年後も数年働いていた母は私の誇りです。私立の大学まで通わせてもらったし、私の一番身近にいる「働く女性」です。家族の生活のために使いつつ、自分で働いたお金で好きな化粧品を買ったりおいしいご飯を食べるのは幸せという感覚は共感できるし私も20年間社会人生活を送れたのは母のおかげです。今は仕事を辞めてしまったけれど、娘がもう少し大きくなったら私もまた働きたいと思っています。

小学校時代の関係と、大人になってからの関係
私が娘の小学校入学を機に家にいることを決めたのは自分の経験も関係あると思います。家に家族が来てくれてよかったと思うし、娘とは色々な話をしたいと思いました。後述しますが、母とは大人になって(20代中盤以降)からの方がたくさん一緒にいてたくさん話して理解しあうことが多かったです。父が病気になり妹や私にも試練があり、家族全員の人生がうまくいかない事ばかりの中で家族がいてくれるだけでありがたく、話すだけで心が救われ、その存在の大切さを感じました。私の夫や娘にとっても家族や家庭が安心できる場所になるように年を重ねていきたいと思っています。

-自己紹介